Kuuma54のブログ

残り時間との闘い

急変

岡江久美子の場合の急変というのは変わるというよっか変になるという意味の急変なんだな。でも次が急に前と違うことが今まで来た道や見慣れない風景になったと言うことで結局は変わるのは変になるとイコールなのかもしれない。新しい体験が決して最早良いものでない、そういう未知との遭遇なんだからと人は分かってる。

詩1破く

山手線で新聞切り抜く感覚でビリビリ破いてたら向かいの子供が悲しそうな顔をした

でもそれは子どもの顔をした大きな大人だった

それなのに手を緩めなかったらコチラに近づくようにして無言で降りて行った

車内は新コロナで自分一人だけになった

形は崩れたのか崩れなかったのかよくわからない 

昔辞書の英単語覚えたらその頁破いて紙を食べた人がいたらしいが、あの子はそれを見たなら笑ってくれるのだろうか

 

寝て何時間か先

寝ていても少し経てば起きる。こうした病が状態の薬の副作用ではありがちだ。消化器系では本体消化器との関連?要はよく食べれるか、食べたものを途中残留させずウンコとして出せれるかの消化器運動との関連である。ガスが貯まるが出てかない、便秘でお腹ん中が脹れた印象抱く、というかそれが及ぼす全体全身の不快感。風呂に入ったりウォシュレットしたりそれなりに対応するが、要は寝に入り、何時間かねた先に、体がどう動くかその体内運動に任すしかない。ますます酷くなるか、峠を超えるか?そんな新コロナ的な議論しかできない!

ディケンズの良さ

今光文社古典新訳のオリバーツイストを一巻本だから約800頁の4分の3ほど読み終え、中々面白いお話(小説というより物語か?)だと思いつつある。ねごろがると手に取って又読み進める力がコレにはあり、ディケンズさんやりはると思う。下らん小説や評論などこの後無用。渡辺京二の本に私の一冊というのがあってディケンズの「大いなる遺産」をあげている。世間ではディケンズは雑駁低俗とか評価が出回るがとした上、「自分というものが何ほどのものでなく、逆に世間は奥が深いということがわからないうちは、ディケンズのよさもおもしろさも心に訴えてこない」と書かれてる。まさにその通り。死にそこないにならないと分からんだろ。

今日も生きてる

薬が効いてる訳でもないが辛いながらいきを吸っております。昔ラジオか何かでがん患者それも末期とかいうのは朝起きたら生きてたから生きてる、とかやってたがそうでもない。起きると人間は何かをしたいものなんだろ。それに見合って力を出すものなんだろ。だからこそ生きてる。死ねないでというより死んでたまるかより弱いが簡単に死ねんわいと思える意欲がどっかコッカ残されてるから生きるのだろ。ある意味動物的、ハイエナが腹すかしながらも今日の餌探しをするようなもんで生きてるんだろ。